トロッタ通信 10-1



トロッタ通信 10-1


1 詩と音楽

■ 伊福部昭から始まる


死滅した侏羅紀の岩層(いわ)に
冷たく永劫の波はどよめき
落日もなく蒼茫と海は暮れて
雲波に沈む北日本列島

生命(いのち)を呑み込む髑髏の洞窟(め)
燐光燃えて骨は朽ち行き
灰一色に今昔は包まれ
浜薔薇(はまなす)散ってシレトコは眠る

暗く蒼く北の水
海獣に向う銃火の叫び
うつろに響いて海は笑い
空しき網をたぐって舟唄は帰る。

shikotpet chep ot シコツペツに魚みち来れば
tushpet chep sak ツシペツに魚ゐずなりゆき
ekoikaun he chip ashte 東の方に舟を走らせ

ekoipukun he chip ashte 西の方に舟を走らす
tushpet chep ot ツシペツに魚みち来れば
shikotpet chep sak シコツペツに魚ゐずなりゆく

流木が囲む漁場の煙
焚火にこげる(サクイペ)の腹
わびしくランプともり
郷愁に潤む漁夫のまなじり

火の山の神(カムイ)も滅び星は消え
石器埋る岬の草地
風は悲愁の柴笛(モックル)を吹き
霧雨(ジリ)に濡れてトリカブトの紫闇に咲くか

伊福部昭氏作曲の『知床半島の漁夫の歌』です。詩は、更科源蔵氏。途中にアイヌの舟唄が挿入されていますが、これは伊福部氏の工夫です。『伊福部昭歌曲集』(全音楽譜出版社)によれば、「作詩者の許を得て挿入したものである」とのことです。また、もとの詩と、歌の詩にも相違があります。始まりの2行が違っています。更科氏の詩集『凍原の歌』(フタバ書院成光館・43)を見ます。

死滅した侏羅紀の岩層(いわ)に → (原詩)死滅した前世紀の岩層に
冷たく永劫の波はどよめき → (原詩)冷却永劫の波はどよめき

もとの詩では、旋律に乗らなかったのでしょうか。それは作曲者のみが知ることです。
トロッタ10で、『知床半島の漁夫の歌』を、バリトンの根岸一郎さんと、ピアノの並木桂子さんが演奏します。この歌には私、木部与巴仁も思い入れがあり、つたないながら練習をしてきました。最近は歌っていませんが、いつかは舞台で歌いたいとも思ってきました。

『音楽家の誕生』『タプカーラの彼方へ』『時代を超えた音楽』と続く、伊福部氏の三部作でも、この歌については触れています。『知床半島の漁夫の歌』を考えることは、詩と音楽について考えることでもありました。三部作が書き続けられるにつれ、少しずつ、その傾向は強まっていきました。記憶がはっきりしませんが、伊福部氏による歌の詩と、更科氏によるもとの詩が違っていることは、私には、ショックといっていい発見でした。

トロッタ10で用いられる私の詩は、もとの形をとどめていません。田中修一氏は「断章賦詩」という手法で、私の詩の部分のみを用い、『雨の午後』を作曲しました。田中隆司氏は、私の3つの詩をメ解体再構成モして、『捨てたうた』を作曲しました。それぞれの方に、どうしてそうなさったのか、問うことは簡単ですが、それではおもしろくありません。私は、作曲者が詩を変えることを、それでいいと思っています。伊福部氏と更科氏という前例があります。変えていいと思う私の態度は、『知床半島の漁夫の歌』に拠っているようです。
トロッタのテーマは、「詩と音楽を歌い、奏でる」です。このことについて、改めて考えようと思います。

古書店で、更科源蔵が著した文庫本『北海道の旅』を見つけました。現代教養文庫で初めて出た後、同じ文庫で改訂版が出され、後に新潮文庫にもなった、息の長い著作です。現代教養文庫の方が、写真は多く、文字も細かく収められていて、愛着が持てます。

私は、トロッタのような大きなことがあるたび、所蔵する本やCDなどを売り払ってしまうので、更科氏の著作も、かつてはたくさんありましたが、詩集『凍原の歌』しか、今は持っていません。『北海道の旅』はありません。今日も、買いませんでした。記憶だけで書きますが、伊福部昭氏が曲にした更科氏の詩のうち、少なくとも『摩周湖』と『オホーツクの海』が、『北海道の旅』には載っています。歌曲として、『摩周湖』は同じ題名ですが、『オホーツクの海』は、詩の題は『怒るオホーツク』でした。書き忘れましたが、先に紹介した歌曲『知床半島の漁夫の歌』も、詩は『昏(たそが)れるシレトコ』という題なのです。

私は、詩は詩人のものですが、歌になった場合は作曲者のものだと思っています。そして演奏された場合は、演奏者のものです。誰々のメものモという考え方は、もしかすると、改める必要があるかもしれません。しかし、詩の題に並べて作者の名前を書き、楽譜にも曲名と並べて作曲者名を記す以上、それは誰々のメものモだと、ありかを示していることにならないでしょうか。やかましくいえば、著作権ということになるでしょうが、責任と言い換えてもいいかもしれません。

歌曲『知床半島の漁夫の歌』は、題まで変えているのですから、伊福部昭氏の作品といえます。同様に、『捨てたうた』は、木部与巴仁の詩によりながらも田中隆司氏の作品であり、『雨の午後』は田中修一氏の作品です。私は突き放して考えています。更科源蔵氏が、どのような考えを持っていたかはわかりません。付け加えれば、私は作曲者に預けたのだから、好きにしてもらわないと、未練が残るとも思っているのです。
無事に終わったことと思いますが、本日十一月十日(火)、今井重幸氏の作曲により、笠原千恵美さんが歌った、ある曲が録音されたはずです。先日、その打ち合わせに、必要があって同席しました。詩が変更になったからと、今井氏が譜面を書き直して来られました。詩の一節を書き直すより、譜面を書き直す方がたいへんであり、時間がかかります。詩人は楽だからいいが、という考え方が成り立つでしょう。それは私もわかります。

飛行機に乗っている時、紙ナプキンに3分間で書きつけた詩に曲をつけたら、大ヒットした。そんな話を聞いたことがあります。しかし、楽譜は3分では書けません。楽器が多くなればなるほど、時間がかかります。そのような作曲者の大変さを間近にして、詩人はノノと、私がそうであるのに思ってしまいます。100メートル競走のランナーは10秒以内で終わるが、マラソンランナーは2時間以上も走らなければならないから大変ノノ。そんな比較は、しても仕方がないと、私は自分に言い聞かせます。

話がそれました。
トロッタを始める時、詩が音楽になる瞬間を見たい、そのようなことを考えていました。更科源蔵氏の詩が、伊福部昭氏の手で歌になる。そこにどのような動きが起こったのか。それを体験したくて、トロッタを始めたのかもしれません。作曲家や演奏家、他の方々の思いは、それぞれにあるでしょう。少なくとも私は、その動きに立ち会いたかったのです。それがもう、10回目を迎えようとしています。何が、わかったのでしょうか?


■ 詩を、音楽のために書く


私が初めて音楽のための詩を書いたのは、甲田潤さんがチャイコフスキーのバレエ音楽を編曲をした、合唱曲『くるみ割り人形』です。甲田さんから依頼を受け、彼が合唱指導する、すみだ少年少女合唱団のために書きました。終曲の詩で、甲田さんと意見の相違を見まして、初演に立ち会うとか立ち会わないとかのやりとりをし、結局は立ち合ったのですが、今から思えば生意気であり、何の意地を張っていたのだろうと思います。

伴奏はピアノでした。2004年には、すみだトリフォニー大ホールで行われました、墨田区の合唱大会で、小編成のオーケストラを伴奏にした演奏を聴かせていただきました。すべてが、貴重な体験でした。トロッタの会のメンバーである戸塚ふみ代さん、トロッタ8にご出演いただいた、コントラバスの丹野敏広さんも、この時のオーケストラのメンバーです。2005年には、曳舟文化センターにてピアノ伴奏で演奏され、私も詩の一節を朗読しました。これから先、何度でも演奏していただきたいと思います。

今ならば、もう少し違った詩を書くかも知れません。言葉をもっと、少なくできたでしょう。しかし、あれはあれで、よいと思います。私には、「詩と音楽」を考える出発点になりました。トロッタ以前に『くるみ割り人形』があったこと。私には大きな意味があります。

ただ--、すでにある曲に詩をつけるのは、私としては本来の作り方ではありません。「替え歌」というものがあります。誰もが知っている歌を、好きな詩、できるだけ他人の笑いを誘うような詩に替えます。センスは問われますが、誰にでもできることです。子どものころ、私もよく替え歌で遊んでいました。その替え歌のような気がするのです。甲田さんとの共作が替え歌だというのではなく、曲が先で詩が後の場合、替え歌になる危険性をはらんでいるといっておきます。

まったくのゼロから、詩を作りたいと思います。それが音楽になればと思っています。作曲者の立場に立てば、また違う意見が出るでしょう。歌にすることを前提に、詩のない曲を書くのと、詩がすでにあって曲を書くのとではまるで違います。この文章も、作曲者からの視点で書かれればおもしろいでしょう。

甲田さんのために、私は『ひよどりが見たもの』という連作詩を書きました。合唱団が歌ってくれる前提で、です。しかし、甲田さんの都合があり、曲になっていません。歌が始まるまでの前奏は聴かせてもらいました。甲田さんらしい、重厚さに満ちていました。いつの日にか、実現するでしょう。楽しみに待ちたいと思います。

代わりに、『ひよどりが見たもの』を曲にしたのは、酒井健吉さんでした。ただし、歌はありません。今は詩唱といっていますが、朗読のための曲になりました。酒井さんには、「トロッタの会」の名前の起こりとなった『トロッタで見た夢』を、2005年、朗読を伴う音楽にしていただきました。酒井さんとは、「詩と音楽を歌い、奏でる」という、トロッタのテーマそのままの共同作業を続けてきました。
2006年には『夜が吊るした命』『兎が月にいたころ』『ひよどりが見たもの』、2007年には『雪迎え/蜘蛛』『唄う』『町』『旅』『みみず』『水にかえる女』『天の川』『緑の眼』、2008年には『光の詩』『祈り 鳥になったら』『海の幸 青木繁に捧ぐ』『庭鳥、飛んだ』と、酒井さんらしい曲がたくさん生まれました。今は事情があり、一緒にできていません。しかし、曲は残っています。これが希望です。
「室内楽劇」
酒井さんが命名した、朗読を伴う音楽様式の名前です。

酒井健吉さんとの共同作業は、私にとって、まさに「詩と音楽を歌い、奏でる」ことでした。東京、名古屋、長崎と、演奏する場所もさまざまでした。 『トロッタで見た夢』を音楽にしたころ、私がまず考えていたのは、意味を伝えることではなかったかと思います。正確に発音する、正確に言葉を届かせる、正確に聴いていただく。それは大前提として、最近は、ちょっと考えることが違ってきています。大切なのは、意味だけではないと思う私がいます。酒井さんと一緒に音楽を創り、他の方々とも音楽を創っていくうち、意味が伝わらなくてもいいと思うようになってきました。意味を、聴く方々にまかせようとしています。私はただ、音を出すだけでいいのではないか、と。楽器が出す音に、意味はありません。

ただ、ここに書いていることは思考の過程であり、結論ではないと、お断りしておきます。言葉に意味があることは、当たり前だからです。
甲田潤さんと創った合唱曲『くるみ割り人形』の詩には、意味が多かったと思います。意味だけで成立している詩だといってもいいようです。しかし、そのような行き方も、当然、あるでしょう。

作曲家・藤枝守氏の『響きの生態系 ディープ・リスニングのために』(フィルムアート社)に、こんな一節があります。詩人ジェローム・ローゼンバーグは、ネイティブ・アメリカンのナバホ族に伝わる「夜の歌」をもとに音響詩を創りました。

「なぜ、このナバホのテキストにこだわったのか。それは、その言葉ひとつひとつに具体的な意味がないからである。意味がない言葉。それは、このローゼンバーグの音響詩を紹介した金関寿夫によると、『魔法のコトバ』ともいわれ、呪術的でマジカルな力をもっていると古来から考えられてきた。ところが、言葉に意味や概念を与えることによって、言葉は、解釈や理解のための道具となり、かつての言葉がもっていた霊的な作用や呪術的なパワーが失われてしまったという」

意味が伝わらなくていいかどうかはともかく、言葉そのものの力を、私は発したいと思っているようです。金関寿夫さんの指摘が正しいなら、言葉の意味と、言葉本来のパワーは相容れないものです。意味を伝えながらパワーを発するという考えは、矛盾しています。力のない正確さ、力がある不正確さ。どちらを取るかといわれれば、私は迷わずに後者です。

これは実現せずに終わった企画でしたが、藤枝氏の曲とともに、私が言葉を発していこうとしたことがありました。楽器はヴァイオリンとピアノ。声は、私と、ある女性詩人でした。実現していたら、どうなったでしょう。トロッタはなかったかもしれません。藤枝氏との作業が続いたでしょうか。これが実現しなかったので、私はトロッタの会を始めたのかもしれません。

思い出しましたが、藤枝氏が行ったワークショップで、詩を詠んだこともありました。暗闇でした。二階にいる人々に向かって、一階から詠み始め、螺旋階段を上りながら詠み続けました。小さな声で詠めばよかったと思います。声を張って詠みました。聴こえなくてもよかったと思います。言葉を、意味を、届かせようとしていたのです。聴こえるか聴こえないかという分水嶺に立てばよかったのに。当時の私は、そこに思いが至りませんでした。「詩と音楽を歌い、奏でる」境地に立っていませんでした。ナバホ族の足下に至っていませんでした。

ただ、難しさはあります。酒井健吉さんの『庭鳥、飛んだ』がそうでした。小編成のオーケストラと共に詠んだのでしたが、この時の楽器編成が、これまでで最大のものでした。音の圧力が、後ろから迫ってきます。対抗するのではなく、融け合おうとするのですが、こちらはメロディに乗っていきませんので、融合はなかなか困難です。音に負けまい、あるいは音の間隙を縫ってという、何だか対抗意識の方が先に立ってしまいます。詩唱者が自在になるためには、大きな楽器編成は、逆効果かもしれません。挑戦したい気持ちはもちろんあります。バランスを、作曲者と見極めることが大事です。

もう一度、藤枝守氏の『響きの生態系』を引用しましょう。
私は、小冊子ではありますが、『藤枝守・音の光景』という一冊を著しています。それを書くことは、伊福部昭氏の『音楽家の誕生』以下三冊の本には、分量として比較すべくもありませんが、大切な体験でありました。私の立場からのアプローチなので、藤枝氏の人生を追おうとか、そういうことではありませんが、誰かについて総合的に考えようとしたことは事実です。

「意味のない言葉が並ぶ『夜の歌』による音響詩。『魔法のコトバ』ともいえるテキストを何度も繰り返しながら声に出して読んでみると、ローゼンバーグが言うように、言葉は意味から解放され、言葉自体がもつ『音、呼吸、儀礼などの力』を、僅かではあるが感じることができる。そして、ネイティブ・アメリカンの身体に刷り込まれた感性や記憶に、ほんの少しだけふれたような気がしてくる」

藤枝さんの言葉を、長く引いてしまいました。私自身の言葉で語らなければと思います。しかし、彼の言葉を通ってきたことは事実なので、あえて引かせていただきました。
私がトロッタの会で発したいのは、力のある言葉です。そこに意味を持たせるかどうか。伊福部昭氏と更科源蔵氏の、作曲家と詩人としての関係はどのようであったろうと思いながら、ひとまず、その議論は後回しにします。