torotta.poem
■ 第6回 トロッタの会

〜見えるかしら
 天の川の岸に咲く 一輪の花
憶えているでしょう
 あなたと別れた あの日
身につけていた衣と同じ 白い色の花
それが 私なの〜

2008年6月8日(日)16時開演 15時30分開場
会場・スタジオ ベルカント

『むらさきの』2006
作曲/酒井健吉 詩/吉行理恵
ソプラノ/赤羽佐東子 ピアノ/森川あづさ

『「大公は死んだ」附 ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』2003
作曲/田中修一 詩/木部与巴仁
朗読/木部与巴仁 ルネサンス・リュート/乃絵羅

『NEBBIE』1997
作曲/Fabrizio FESTA 詩/レオナルド ダ ヴィンチ、カルロ ヴィターリ
ソプラノ/赤羽佐東子 ピアノ/森川あづさ

詩歌曲集『恋歌』〜夏の歌・ゆめ うつつ・逢瀬〜(作品25)より 2008
第一曲「夏の歌」*「日本の小径(こみち)〈第一集〉瑠璃の雨」とともに
第二曲「ゆめうつつ」
第三曲「逢瀬」
作曲/橘川琢 詩/木部与巴仁
アルト/かのうよしこ 朗読/木部与巴仁 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/森川あづさ

『ほたる』2007
作曲/宮崎文香
ピアノ/森川あづさ

『椅子のない映画館』2008
作曲/清道洋一 詩/木部与巴仁
朗読/木部与巴仁 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ヴィオラ/菅原佳奈子 チェロ/對馬藍

『HIBAKUSHA』2005
作曲/Fabrizio FESTA
ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ヴィオラ/菅原佳奈子 チェロ/對馬藍

『田中未知による歌曲』2008
作曲/田中修一 短詠/田中未知
アルト/かのうよしこ ルネサンス・リュート/乃絵羅

『室内楽劇 天の川』2007
作曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁
ソプラノ/赤羽佐東子 朗読/木部与巴仁 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 チェロ/對馬藍 ピアノ/森川あづさ

『めぐりあい 夏』2008
作曲/宮崎文香 編曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁
出演者全員による合奏




『むらさきの』

  吉行理恵

1938-2006 東京生まれ。1968年、詩集『夢のなかで』が、第八回田村俊子賞受賞。1981年、小説『小さな貴婦人』で芥川賞受賞。最後の小説『靖国通り』を収めた、母・吉行あぐりによる『吉行理恵レクイエム「青い部屋」』(文園社)がある。

〈註〉演奏およびプログラムには(社)日本文藝家協会の許諾を得て全文を使用しましたが、サイト掲載の許可は得ておりませんので、公開いたしません。御了解ください。

   *

『大公は死んだ』

  木部与巴仁

大公は死んだ
雨の降る晩に死んだ
ふくろうが啼いていた
闇が亡骸をついばむ
大公は死んだ
世界を見下ろす
塔の頂で死んだ
空(そら)を切る風の音
大公が死んだ時
妻は恋人のもとにいた
娘は遠い異国にいた
大公の肌をすすぐ女は
もういない
遙か遠く
黒い森にしみだす
いくさの予感
大公は死んだ
悲しむ者はいない
妻は恋人に殺された
娘は異国で殺された
滅びの鐘が鳴っている

   *

NEBBIE 〈霧〉 ソプラノとピアノの為の4つの歌曲

レオナルド ダ ヴィンチ、カルロヴィターリ(翻訳 妹尾寿佳)

「水」 レオナルド ダ ヴィンチ

水の性質は透明である。
だが蒸気、または霧にも変化する。
凝縮した雲は、まるで固体物質であったかの様に
光と陰を取り込む。
(レオナルド ダ ヴィンチの原文をもとにカルロ ヴィターリが作詩)

  ◆

「家に帰る」 カルロ ヴィターリ

デルタ地帯の静寂で優雅な蒸気に私は気づく、
柵状に葦が生い茂った野辺には、
生き物たちの時間がある。
取り外された蝶番の上にイラクサ(刺草)が伸びる。
痛み-空虚なわだち。
記憶は泥土を枯渇させる。
今夜は違う

  ◆

「ポプラの秋」 カルロ ヴィターリ

土手の上で時を窺いながら一列に並んで待っている。
雫をいっぱいに含んだ大地は、ヴェールの下に横たわり、
大地を豊かにするが、
力尽き、癒されない。
抱擁の中の困惑は、時間をふるいにかけ、
そして、風を静める。

  ◆

「楽しげな夜明け」 カルロ ヴィターリ

鈍い感覚の目覚めに
あまりにも短い忘却から外へ抜け出しながら、
ミルク色のシーツが彼を包んだ。
あの無気力さの中で、
今までにない幸せな眠りへと身をゆだねた。

   *

『夏の歌』

〈註〉詩歌曲『恋歌』は、「夏の恋」「ゆめ うつつ」「逢瀬」の三篇によって構成された。

  木部与巴仁

破れた恋
かなわなかった願い
傷ついた心
消えてゆく人影

沈んでしまった太陽のために
夏の歌を うたおう
悲しみの前に
声をあげて
虚しさなんか 知らない

虫がうたう
鳥がうたう
木々がざわめき
風が吹く 夏の街を
吹き飛ばしてしまう すべて

何て遠い 後ろ姿
止まりかけている時間に
夏の歌を うたおう
届かせたくて
ひたすらに
ただ 届かせたくて

  ◆

『ゆめ うつつ』

  木部与巴仁

ダンサーでもないわたしたちが
スタジオで踊っていた
七夕の夜に
音楽もない
観客もない
わずかな照明が
ふたりの影を落としていた
わたしはここに
あなたはそこに
命ずる者のないまま
一糸もまとわず 踊っていた
思いのたけに身をまかせて
息遣いが聴こえる
気配が生まれる
触れもせず あなたは踊り続けた
わたしの周りを ただひたすら
誰もいないスタジオに 足音が響いて
踊れることが不思議だった
ダンサーでもないのに
感じていた あなたを
汗に濡れた 裸の背中で
わたしは誰だったのだろう
わたしは何だったのだろう
見たこともない ダンススタジオ
それは奈落の底にある
忘れられない
七夕の夜の 思い出

  ◆

『逢瀬』

  木部与巴仁

わたしではないわたしが
遠ざかる季節に
愛をかわす
風の強い朝だった
残り香よ 消えてなくなるな
焦りに似せた
言葉のあわだち

女は見ている
唇は赤く ものいわず
削ぎ落とされた頬に
心は往き来する
気がつけば遙かに遠く
残っていた まなざし
別れてしまえば二度と逢えない
女の指が
物語りを始める

憎しみよ 消えてしまえ
舞い立とうとしている
形のない思いが
風の強い朝
わたしではないわたしを
連れ去ろうとする

   *

『椅子のない映画館』

  木部与巴仁

その映画館には、椅子がないのだという。まっくらな部屋に押しこめられ、人々は立ったまま、スクリーンを見つめる。そこで映画を観たという友人は、六畳間と四畳半を足したくらいの広さだったと、適当なことをいった。なお半信半疑だったが、彼は地図まで描いてくれた。間違いなくあると、しきりに力説する。好奇心には克てず、一枚の紙切れを頼りに、私はその町に足を踏み入れた。

考えてみれば、映画館の椅子は、必ずしも必要なものではないかもしれない。通常の映画館でも、満員なら立ち見を強いられるから、同じことだ。映画館にとっても、椅子などない方が、おおぜいの人に入ってもらえて好都合だろう。しかし、理由は別にあると思う。その映画館に、椅子がない理由である。映画には、立ったまま観られることを望む性質が、ありはしないか。世界を目の当たりにする。それが映画の本質なら、居心地のいい椅子で、傍観者になって時間を過ごすなどという態度が、許されるはずはない。世界は受け身では観られない。自分で自分を支えて、向き合わなければ!

埋め立てが進んで、海は遠ざかってしまった。近くには、高速道路も走っている。しかし、漁師町で見かける建物の、あいまいさ。前の浜で魚が獲れなくなったら、いつでも別の場所に移る。漁師の住まいには、そのような身軽さがあると思うが、地図を頼りに訪れた土地には、海辺の町の名残りが、今もなお、感じられた。幾度か、露地に迷いこみ、大通りを横切り、また露地に迷いこんだあげく、私はほこりだらけの、薄暗い、狭い階段を降りていった。人の気配はない。扉を開けると、かびのにおいが鼻をついた。地面の高さに開いた小さな窓から、外の光がさしこんでいる。椅子は、やはりなかった。コンクリートの壁と、床と、天井に囲まれただけの空間である。六畳間と四畳半を足したくらい。友人はそういったが、およそ五メートル四方はあった。案外と、天井は高かった。立って観る人の、頭越しに映写するからであろう。

それにしても、看板はなく、ポスターもなく、第一、スクリーンがなかった。鍵もかかっておらず、不用心である。盗られるようなものは、何もなかったが。ここは今も、映画館なのだろうか。友人に確かめなければ。そう思った時である。けたたましい音をたてて、ベルが鳴った。片隅に電話が置かれている。思わず受話器を取り上げた。「今日の上映は、何時からですか?」若い男が、遠くから、何も知らない私に、問いかけていた。

   *

『よるの芽』より
      
  田中未知

1892-1915 和歌山生まれ。未知は、版画家・田中恭吉の号。白馬会原町洋画研究所を経て東京美術学校日本画科入学。竹久夢二らと交流を結ぶ。同人誌『ホクト』『密室』を発刊。1914年、恩地孝四郎、藤森静雄と、詩と版画の雑誌『月映(つくはえ)』刊行。萩原朔太郎より装幀と挿画を依頼されるが、完成を見ず、1915年、和歌山市内で死去。田中恭吉の装幀、挿画による朔太郎の第一詩集『月に吠える』は1917年に刊行された。和歌山県立近代美術館に、多くの作品が遺されている。

傷みて なほも ほほゑむ 芽なれば いとど かわゆし
こころよ こころよ しづまれ しのびて しのびて しのべよ

むなしき この日の 涯に ゆうべを 迎へて 懼るる
ひと日に ひと日を かさねて なに まち佗ぶる こころか

よろこびの はてなる 笑みを かなしみの けふに おもひて
夜をふかみ 聴き入る といき あめつちに ひとつの といき

みつむれば なみだに 溶けて うらうらと 涯をも わかぬ
蒼穹よ 晴れて うれしも いやはての われの おくつき

わかれし ものの かへりて 身につき まつはる うれしさ
すこやかよ すこやかよ  疾く かへりね わがやに

   *

『天の川』

  木部与巴仁

  一

(*織姫の詠唱)
星が流れてゆく
逆巻きながら
渦巻きながら
たくさんの星が
天の川を 流れてゆく
ほとばしり あふれる
この胸のうちに似て

(*彦星)
逢いたい
思うのは それだけ
逢いたい
願うのは それだけ

星の嵐が 激しくて
渡し舟は
出せないという
天の川の向こう岸で
あのひとが
待っているのに

機織りにかけては
天界一の 織姫だった
私は 星の野原で
たくさんの牛を追っていた
働き者の ふたりだった
それなのに

思い返せば おそろしい
結びあえた歓びが
私たちを怠けさせた
姫は 機を織らなくなり
私は 牛を追わなくなった
もう 二度と
ともにいてはならぬと
戒められ 引き裂かれたのだ
織姫の父 天の帝に
鞭打たれ 野に追われたが
命だけは 救われた
そして 年に一度
織姫に逢うことを許された
それなのに

七月七日が近づくと
私は 祈る
今年こそ 織姫に
逢わせてほしいと
心の鏡には
くっきり浮かんでいるのに
星の嵐にさえぎられて
確かめられない
あのひとの 面影

ああ 何という嵐だろう

  二

(*かささぎ)
七月七日は 雨が降る
星祭りには 雨が降る
あの子は いつも
泣いている
天の川は渡れない

天の帝よ
このかささぎに
問わせてほしい
あなたはなぜ
七月七日になると
星の嵐を呼び
星の雨を降らせるのか
ゆったりと星を流す
あの美しい天の川が
荒れ狂っている

七月七日は 雨が降る
星祭りには 雨が降る
あの子はいつも
立っている
星の雨に濡れながら

彦星が泣いていた
天の川の岸辺で
今年も また
あなたは約束したはずだ
七月七日には
織姫に逢わせよう
たった二人 楽しく過ごすがよいと
それなのに なぜ

(*天帝)
思い知れ 彦星よ
おかした罪は 償わねばならぬ
誰もいない渡し場で
星の雨に 身を濡らすがよい
背負った罪は 負い続けねばならぬ
織姫に逢いたければ
星の風にさらされ
泣き続けていよ
そうすれば
そうすれば おまえも

  三

(*彦星)
何と 冷たいのだろう
何と 心細いのだろう

ぐっしょりと 心の底まで
濡れている
天の帝の約束を信じて
待ち続けてきた
何年も何年も
もう このままずっと
逢えないのだろうか
逢えないまま
星の雨に 身も心も
濡らし続けるのだろうか

何という冷たさ
何という心細さ

帝よ 見るがいい
私は これから
天の川を 渡ろうと思う
流れる星をかきわけて
向こう岸をめざし
泳いでゆこうと思う
溺れ死ぬだろう 必ず
力尽き 星の流れに
呑みこまれて それでも
悔いはない
胸を焦がして生きるより
いっそ きっぱりと
死んだ方が潔い

(*織姫の詠唱)
聴こえる
あなたの声が
見える
あなたの姿が
今すぐ ここへ来て
私のもとに

(*彦星)
あの時 取り合った
手のぬくもりが よみがえる
打ち克ってみせよう
星の嵐に
泳ぎ渡ってみせよう
天の川を
見るのだ 天の帝よ
待っていておくれ 織姫
そこに じっとして

  四

(*かささぎ)
おそろしい
若者の 一念とは
彦星が 轟々とさかまく
天の川に飛びこんだ
いかにすぐれた泳ぎ手でも
泳ぎきれまい
ましてや あの牛飼いの彦星になど
思ったとおりだ
早くも 沈み始めた
沈み 浮き 沈み 浮き
また沈んで やっぱり沈んで

天の帝よ
あなたは あの彦星が
憎いのではないか
あらゆる力をもって
天を支配する
帝ともあろう御方が
真実を話せばいいのに
どうするつもりか
星の渦に巻かれ
見えなくなってしまった
彦星を

(*天の帝)
私にも あのような時代があった
自分のことだけを考え
自分のことだけに一生懸命でいればいい
あの 彦星のような時代が

かささぎよ
好きにするがいい
死なすなり 生かすなり
思いの通りに
いっそ 死んでしまえば
あの若者も
真実を知らずに
すんだであろうが

  五

(*彦星)
虫が啼いている
しっとりと湿った
星の野原にすむ
小さな虫

どうして
ここにいるのだろう
生きているのか 私は
見えている 無数の星が
果てしない宇宙に
嵐はもう やんだようだ
何という この私の
小ささ

強くありたいと思った
運命の前で 強く
しかし 星の渦に巻きこまれ
呑みこまれてしまった
私はただ 死にたかったのだろう
織姫に逢えないくらいなら
死んでしまえばいい
そう 胸の内を
示したかった

虫よ
名もない 虫よ
何を啼く
おまえたちは ちっぽけだけど
生きようとしているんだね
すさんだ心で 天の川に飛びこみ
死ねばいいなど
何と愚かな 私だったことか

怒りも 憎しみも
生きていればこそ
生きているから
人は人を愛し 慈しむ
哀しくても 時が経てば
喜びを 楽しみを
感じられる
生きていれば
逢える 織姫に
生きていればこそ
思い出せる 織姫の
美しい 面影を

  六

(*織姫の詠唱)
二度と 逢えない
二度と 取り返せない
私たちの時間(とき)

私はもう
あなたの手の届かない
遠いところで
暮らしている
離れ離れになった哀しみに
七日七晩 泣き暮らし
ひとり寂しく
旅立たなければならなかった

見えるかしら
天の川の岸に咲く
一輪の花
憶えているでしょう
あなたと別れた あの日
身につけていた衣と同じ
白い色の花
それが 私なの

二度と 逢えない 二度と 取り返せない でも
思いは 永遠(とわ)に
消えることなく
残っている
二人の 心に
いつまでも

  七

(*彦星)
天の川の岸辺に立ち
好きなひとの名を呼ぶ
思いがこもっていれば
向こう岸から
名前を呼び返してくれる
思いがこもっていなければ
どれほど大きな声で 叫んでも
応えはない

それはね 星のこだまというのよ

教えてくれたのは
いまは亡い 母だった

姫よ 織姫

静かだ
見ているだけで 心が安らぐ
渡し舟に乗って
たくさんの人やものが
往き来している
星の嵐に 逆巻いていた姿が
嘘のようだ

姫よ 織姫

かささぎが 舞っている
どこから やってくるのだろう
何という おびただしさ
あの翼があれば
どこへでも 飛んでいける
せめて 翼を連ね
橋をかけてくれないだろうか
思いの橋を 向こう岸に
渡してくれないだろうか しかし
私の気持ちなど
空を舞う かささぎに
通じるはずはない

逢いたい
思うのは それだけ
逢いたい
願うのは それだけ

七月七日になったら
私はやはり
ここに立つだろう
天の川の岸辺に
来年逢えなければ その次の年も
次の年に逢えなければ そのまた次の年も
私は立ち続ける
星が流れる
天の川の 岸辺に

   *

めぐりあい 夏

  木部与巴仁

季節が夏に向かうころ
わたしたちはめぐりあう

風が吹いた
不安な街角
影に寄り添い
歩いていた

季節が夏に向かうころ
わたしたちはめぐりあう

鳥でさえ歌うのに
歌いたい
鳥と一緒に
明日こそ
晴れるようにと

どこへ行くの?
わからない でも
私は生きられる
ありがとう
あなたの歌を聴いたから