■ 第4回 トロッタの会 〜日輪落ちて 世界が闇に向かうころ 夕焼け空に浮かび上がった黒い影 逆さになった三角形が 真っ赤な雲を背景に 宙吊りされてもがいている〜 2007年6月24日(日)14時30分開場 15時開演 会場・スタジオ ベルカント 『こころ』1993/2007 作曲/田中修一 詩/萩原朔太郎 ソプラノ/成富智佳子 ピアノ/仲村真貴子 『ヴァイオリンとピアノのための「小さな手記」』作品18 2007 【第1曲 ゆりかご】 【第2曲 静かな絃に寄せて】 作曲/橘川 琢 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/森川あづさ 『みみず』2007 作曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁 アルト/かのうよしこ ピアノ/仲村真貴子 『フルートとピアノのためのカプリッチョ』2002 作曲/酒井健吉 フルート/高本直 ピアノ/森川あづさ 『バッハの無伴奏ヴァイオリン曲とともに詠む 塔のある町 付・世界を映す鏡』2007 パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004 III Sarabande パルティータ第3番ホ長調 BWV 1006 II Loure ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005 II Largo 作曲/ヨハン.セバスティアン.バッハ 詩/木部与巴仁 朗読/かのうよしこ・木部与巴仁 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 『兎が月にいたころ』2007 作曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁 ソプラノ/成富智佳子 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ピアノ/仲村真貴子 『オーボエとピアノ、朗読による「冷たいくちづけ」』作品19 2007 作曲/橘川 琢 詩/木部与巴仁 オーボエ/春日浩克 ピアノ/森川あづさ 朗読/木部与巴仁 『TRIO BREVE“牧嘯歌”』2007 第一楽章Allegro 第二楽章Canzonetta,Andante 第三楽章Allegro vivace 作曲/田中修一 ヴァイオリン/宮田英恵 チェロ/豊田庄吾 ピアノ/仲村真貴子 『夜が吊るした命』2007 作曲/酒井健吉 詩/木部与巴仁 フルート/高本直 オーボエ 春日浩克 ヴァイオリン/戸塚ふみ代 ヴァイオリン/宮田英恵 チェロ/豊田庄吾 ピアノ/森川あづさ 朗読/木部与巴仁 |
こころ 萩原朔太郎 こころをばなににたとへん こころはあぢさゐの花 ももいろに咲く日はあれど うすむらさきの 思ひ出ばかりはせんなくて。 こころはまた夕闇の園生のふきあげ 音なき音のあゆむひびきに こころはひとつによりて悲しめども かなしめどもあるかひなしや ああこのこころをばなににたとへん。 こころは二人の旅びと されど道づれの たえて物言ふことなければ わがこころはいつもかくさびしきなり。 * みみず 木部与巴仁 白い雲が にごりなく 真っ青な空に尾を引いた 冬の ある一日 みみずが恋をした 地面を溶かしてしまうほどの 熱く ながい抱擁 われを忘れてひとつになる どちらがどちらであったのか そんなことはもう わからない この時間が 永遠に続けばいい 世の中がどうなろうと 他人の考えがどうであろうと 抱擁の後に何が待っていようと 知ったことではない 冬の気配を感じながら みみずの恋は それほどに熱かった * 世界を映す鏡 *『世界を映す鏡』を先に詠み、 続いて『塔のある町』を詠んで一曲とした。 木部与巴仁 空の青 花の赤 私たち人の死 木漏れ日は葉に散り敷く 風が運んでくるもの 山の緑 夏の息吹 海の群青 天上の闇と輝き 鳥たちの生 森の深まり 手を伸ばすと遠ざかる 幾度目かの恋 街路樹は錆びついて オリーブの葉は雨をはじき 指環は七色を宿す 土気色の町に 心は白く燃える 世界を映しながら ◆ 塔のある町 木部与巴仁 一 春の夕暮れに 塔の影浮かぶ町をゆく 白き石積みの礼拝堂 振り仰げばそびゆ 空を押し上ぐるごとく 窓辺に寄りてうかがう 天井は高く丸く空に似る 白き壁に描かれし 色とりどりの文様あり 異国の教えを信ずる人々 頭を垂れて手を組み ある者は身を投げて祈る 一心に 目を伏せ 自らの足音に送られ 礼拝堂を去る 彼らのごとく祈る心を 持っているか 問いながら 日暮れし町をゆく 二 わが手に 手をあずけし 女ひとり 黒髪長く 寄り添い 黙して歩まば 月 冴え冴えとして光る いずれかの世に 私もまた 礼拝堂にて祈りしか 祈りたいと願い 礼拝堂を訪れしか 異国の衣装に身を包み 姿形は 今に似ず 女であったかもしれぬ 遠きいにしえ されど この世のわれに 祈りなし 思い 願い 欲し ただ生きる 自身のため あるいは他人のため 幸せ 安らぎ 実りを 手を握る女ひとりのためにも 祈りたいと思う心を 私は 持っているか 三 坂を下り 上り あてどなく歩む ふたりの影はひとつになり 離れてまた ひとつになり 夜の町をゆく 塔の影 すでに見えず ふたりがたどりつくべき 駅舎の灯り 煌々と照る 駅に着けば ふたりはやがて ホームに立ちて 別る 右に左に それまでの時 せめてと力を入れている 手に 女もまた 思いを返す 黙して歩めど 念じ合う ともどもに これも 祈りか せめてと思う 祈りか 夜の気が身にしむ ほこり立つ路上 それが 女と私の 祈りの場所 ともに祈る場所 手と手を結び 通い合うものの少しでも多かれと 祈っている * 兎が月にいたころ 木部与巴仁 兎が月にいたころ 私は母に手を引かれていた 兎が月にいたころ 私はただ小さく 痩せていた 兎が月にいたころ 私は恨みも疑いも抱かなかった 兎が月にいたころ 私は女たちを慕い 男たちを怖れた 兎が月にいたころ 私は本当に 私だったのか 身の周りだけをすべてと思い 光と影に誘われて 漂うように過ごしていた ないものとあるものの区別もつかずに 兎は今も 月に 私はどこにいるのか 兎はずっと 月に 私はどこを歩いていたのか 兎はこれからも 月に そして 私はどこへ向かうのだろう * 冷たいくちづけ 木部与巴仁 世界が終わろうとする日に くちづけをしたい 風が吹いている 波の音が聴こえる 踏みしめる大地に砂の感触 見えるものはない かつて取り合った 女の手 細い指に 湿り気をたたえて 何かいっただろうか 女は 思い出そうとしているのに 世界が終わろうとする日 心には何も 残っていなかった 一頭の牛が引かれてゆく すべてをなげうった顔で 揺れている黒い身体 四本の脚が 世界を支える 何もかも 見た 何もかも 聞いた しかし牛は 一切を吐き出さず 点となって消えた 雨が 降り続いている 世界の終わりに向けて 心を濡らす驟雨 やむ気配もなく 見上げるのだ 灰色の空を 瞼を叩く 大粒の雨 記憶の底に滲み通らせよ その時こそ 私は 冷たいくちづけをする 雲間から差す光を求め 海の上を鳥が舞う 水柱が立った 波間に 音もなく ただ一瞬の陶酔に似て 目をそらせば消える つかの間の情景 よみがえれ 女の 過ぎし日の面影 求め合った 狂おしく 世界が終わろうとする日に 身を覆う 底なしの冷たさ 割れた鏡に 砂浜で映る こなごなの情景 ひび割れの 風 いつからだろう 欲しいはずなのに 欲しいと 心から 思わなくなったのは 吹きすさぶ 灰色の空に似て 砕ける波に足下をすくわれながら 冷たいくちづけを求めている * 夜が吊るした命 木部与巴仁 日輪落ちて 世界が闇に向かうころ 夕焼け空に浮かび上がった黒い影 逆さになった三角形が 真っ赤な雲を背景に 宙吊りされてもがいている 逃れたくて逃れたくて身をよじる 影 影の姿にとらわれて釘づけられた 私の眼 冬の一日 疲れた身体を他人にあずけ 見知らぬ者同士揉みあいながら 家路をたどる 通勤電車の私 火花を散らして ビルの谷間を走り抜ける 細長い鉄の函 悲鳴に似たレールの音を響かせて 駅に停まったつかの間 何気なく窓から仰いだ空に 身もだえするものの姿が 紙かと想った あるいは布かと 気まぐれな風にあおられて ひらひら舞う 一枚の紙か布かと しかしそれは 屋上の電線に足をからませた 一羽の烏 空しく翼を羽ばたかせて ふりほどきたくてもかなわず もがけばもがくほどおのれを縛る 力尽きてぶらさがり 思い出したかのように力を振るう また宙吊りされて空しくなり もう一度だけと羽ばたいて また空しくなる 気づいた人はいるのか こんなに大勢乗っているのに 私の周りの果たして誰が あの烏に気づいたろう すぐにも電車を飛び降り 屋上に駆け上がって 烏を自由にしてやりたい とらえたものをひきちぎり 奪われた自由を取り戻したい しかし 焦りをよそに動き出す私の身体 ぐらりと揺れて遠ざかる烏の影 三角の影は後へ後へ みるみる小さくなって、消えてゆく 烏はやがて 助けを呼ぼうにも 喉は涸れて声が出ない 烏はやがて 仲間が来ても からんだ電線はほどけない どうして こんなことになってしまったのか 何がいけなくてこんなことに わからない もう何もわからない わかろうにも すべては遅いのだ 逆さまになった烏の視界に 今ごろ何が映っているだろう 空翔る自由の証 黒く雄々しいあの翼も 今は宙を掻いて風起こすだけ 烏はやがて ああ 烏はやがて 夜露に濡れて 息細くなり 思い出だけが頭をよぎる 烏を締めあげる 冬の冷気 この夜空の下のどこかに 吊りさげられて逝くのを待つ 孤独なものが そう想うだけで 心が裂けそうだった 次の日の朝 私は窓に背を向けていた その次の日も そのまた次の日も 今でもまだ 背を向けて立っている |